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Channel: プロヴァンス発 南フランス暮らし365日
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明日、母が施設に入る

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明日、母が施設に入る。高齢の父と暮らしてきたけれど、これ以上父に負担をかけることは無理な状態になった。認知症(アルツハイマー)、心臓病を患った母は、昨年要介護1から一気に要介護5に。ここまで怪我もなくやってこれたのは、ひとえに父の献身的な自己犠牲ともいえる介護のおかげだ。声を荒げたり、愚痴が多くなってきて、父も限界なのだと知った。


母の認知症が進み、コロナ以前から私は、冬はほとんどを日本の両親のところで過ごすようになった。今年から冬季は日本で住もうと決めたのも、両親のことがあったから。

いまは、私が誰なのか、わかっているのかどうなのか?お母さんと呼びかけると、おうむ返しに「おかあさん?」と言ったりもするから、母娘の関係は忘れてしまっているみたい。


後悔しないように、できる限りのことをしようと思ってやってきたけれど、母が施設に入ると決まってから、ずっと後悔の念にさいなまれている。もっと話を聞いてあげたらよかった。母が言葉を忘れてしまう前に、もっといろんな話をすればよかった。

本当はずっと一緒に過ごしたかったのに、叶わなかった。もっと何か別の解決法が見つけられなかったものか?


数日前、母が寝ている隣で横になっていたら、勝手に涙があふれてきた。

眠っていると思っていた母が、

「どう したの?」 真剣な眼差しで静かに聞いた


「なんでもない。だいじょうぶ」


「だれかに なにか いわれたの?」


病気でふるえる手を一生懸命、私の方にのばし、そっと私の手の上においてくれた。言葉もなく、私たちはただ過ぎていく時間だけを共有していた。まぎれもなく、母と娘の時間だった。

大人になってからも、いちばんつらいときには母に相談したし、大げんかもした。数年間分の私が送った手紙を送り返されたこともあった。仕事に夢中で親に顔も見せない、ろくでもない娘だった。


母を心配させちゃいけないという思いが先行して、「なんでもない、だいじょうぶ」、などと、あのときなぜ言ってしまったのだろう。思いのまま泣いて子どものようにすがったらよかったのにと思う。どうしてこんな悲しいときにまで、私は気持ちを押し殺してしまうのだろう。


明日、母はホームへ入る。いい人たちがいる心地よい家だといい。最初はさみしい思いをするだろうと思う。そのなかでも何か楽しみを見出してくれたら。やさしい言葉に微笑んでくれたら。窓からの眺めに移りかわる季節を感じてくれたら。





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